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私がTENを発症したのは18年前
なかなか診断がつかず、4つ目の病院でようやく診断がついて 治療が始まり、それから8ヶ月間の入院だった 何か月も熱が常に38度台から下がらず 様々な辛い検査をした その間子供に会うこともなかった ようやく退院したと思ったら、 1時間以上かかって通院の日々が続いた 今より眼が見えなく、筋力も衰えていたため 当時70歳を超えた父に連れられて通院した 2年前位にメールでやりとりして 転院した患者がある病院で やはり父親に連れられて地方から通ってたのを 目の当たりにして胸が熱くなることもあった 退院してからの3年間はめの手術で何十回も入退院を 繰り返した 当時は救済制度を知らなくて 治療費が膨大っだった また、人任せにしていた診療所も 毎月100万単位で赤字となっていった 入院中に知り合った患者に お見舞いのお花代もない状態だった 地区の歯科医師会の社会保障制度委員の先生は とてもやさしく面倒を見てくれた なんとか日本歯科医師会による保障を 受けられるように教えてくれた 歯科医師会の脱会の時期も指導を受けた あの時は本当に助かった 経理をやっていてくれた父が 「このままだと大変だから 一応閉院したらどうか?そのうち よくなったら、またやればいい」と 言ったのをきっかけに閉院した 16年前のきょう、3月31日に 閉院して帰りる電車の中で 涙があふれてきた どうしてこうならなければならなかったのかと 考える余裕もないほど、眼が痛かった そして日本歯科医師会を脱会する時に 免許を返還するのなら800万円くれるという 話だったが、免許を手放すことは 今までの私を清算することだったし その時は、またいつか現場復帰できるだろうと思っていた 患者会に携わって7年間余り プライバシーもあり 詳しくは書けないが あらゆる人と知り合い、いろいろな思いを受けとめた この間に亡くなった人は7人 その中の一人は急性期にお見舞いにもいった すごい現実を突きつけられたような思いだった 某大学病院へ転院させた患者もいたが・・ 私は依頼をして、転院が決まり安心して寝てしまったが 翌日、メールボックスをみると 皮膚科の教授から夜中の12時過ぎにメールがきてた 「今、患者を病院で待ち、待機中です」と また違う病院では急を要する患者の 受け入れを快く受けてくれる この7年間で多くの優秀なやさしい先生と知り合い 本当に助けてもらっている 今まで知りあってきた患者たちの思いや 自分が体験してきた様々なことを念頭において 私は、日々を過ごしている せいいっぱい過ごしている
by sun-flower-k
| 2009-03-31 18:24
| 日記
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